是枝監督『万引き家族』考察(ネタバレあり) 日本社会の歪み、家族のかたちとは?

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「家族って、一体何なんだろう?」
是枝裕和監督の代表作『万引き家族』を観たあと、そんな問いを胸に残した人も多いはずです。

2018年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したこの作品は、決して“お涙ちょうだい”ではないリアルな家族像を描き、日本だけでなく世界中に強烈なインパクトを与えました。

貧困、虐待、孤立、法律とモラルの狭間――
一つの家族を通して映し出されるのは、日本社会が抱える歪みそのものです。
中でも、安藤サクラさんの圧巻の演技と、故・樹木希林さんの存在感は物語に深い説得力を与えていました。

この記事では、是枝監督の『万引き家族』を

  • 日本社会のリアル
  • 登場人物の関係性
  • 家族の意味

という3つの切り口から掘り下げ、「家族のかたち」とは何かを考察していきます。

映画をすでに観た方はもちろん、これから観る人にとっても新たな視点をお届けできれば嬉しいです✨
さあ、一緒に『万引き家族』の奥深さを探っていきましょう。

『万引き家族』が問いかける日本社会のリアル

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貧困と家族のつながり

『万引き家族』の物語は、東京の片隅で暮らす一家が小さな万引きを繰り返しながら生計を立てているところから始まります。私たちのすぐ隣にあるかもしれない“見えない貧困”。決して特別な存在ではない彼らの姿は、「自己責任論」では語りきれない社会構造の歪みを映し出しています。

この家族は血のつながりがバラバラであるにもかかわらず、食卓を囲み、ささやかな幸せを分かち合っています。本来、家族は支え合う存在のはずなのに――「なぜ公的支援が届かないのか?」「なぜ生きるために犯罪を選ばざるを得ないのか?」物語は私たちに問いかけます。

法とモラルの狭間で

作品の根底にあるのは、法が守る“正義”と、人が生きるために選ぶ“現実”のギャップです。
万引きはもちろん犯罪です。でも、万引きをしなければ今日を生きられない人々がいたら――私たちは彼らを一方的に裁けるのでしょうか。

是枝監督は一貫して「人の善悪を単純に切り分けない」スタンスを貫きます。それは社会に対しても、観客に対しても挑戦状のようなもの。観る者は、善悪の二元論ではなく、その間にあるグレーゾーンに目を向けざるを得ません。

是枝監督が描く“偽りの絆”とは

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『万引き家族』で象徴的なのは、血縁よりも“選んだ絆”です。血のつながりはなくても、食卓を共にし、互いを思いやるこの家族は、どこか温かく、どこか危うい。

とりわけ、安藤サクラさん演じる信代の“母性”は、観る人の心を揺さぶります。彼女の演技は、法律的には罪深い行動をしているにもかかわらず、そこに確かに存在する“愛”を感じさせます。

「好きだから叩くなんて言うのはウソなんだよ、好きだったこうやる」
と信代がりんちゃんを抱きしめるシーンは、偽りの中にある強い“愛”を感じさせるシーンでした。

そして故・樹木希林さん演じる初枝は、この偽りの家族を黙認しつつも、独特の達観で家族を支え続ける存在。その存在感は、日本の家族像の古さと温かさを象徴しているようにも映ります。

是枝監督が描いたのは、誰もが理想とする家族のかたちではなく、現実の中で生まれた“かりそめの幸せ”。その“偽り”の中に、私たちが求めている何かが隠されているのかもしれません。

登場人物から読み解く「家族のかたち」

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物語の中心にある“愛情”とは

『万引き家族』には血縁を超えた複雑な関係が絡み合っています。中でも際立つのは、家族の中心にある“愛情”が一様ではないこと。

安藤サクラさん演じる信代は、貧しさの中で子どもを“拾う”という常識外れの行為に踏み切りますが、そこに打算的な下心はほとんど感じられません。むしろ、傷ついた子どもを救いたいという思いが行動の根源にあり、観客は「これも一つの母性かもしれない」と考えさせられます。

愛情とは血のつながりだけでは語れない――この作品が最も強く伝えてくるメッセージの一つです。

なぜ血縁より絆が強調されたのか

是枝監督はインタビューで「血のつながりは必ずしも家族の絶対条件ではない」と語っています。
『万引き家族』の登場人物たちは、親子・夫婦・兄弟という既成概念から外れたつながりを自らの意思で選び取っています。

それは逆説的に、現代日本において“本当の絆とは何か”を問いかけているとも言えるでしょう。
樹木希林さん演じる初枝が養ってきた子どもたちは血縁ではありませんが、彼女の存在が家族をつなぎ止める軸になっています。

「血縁に頼らない家族像」これこそが是枝作品に一貫して流れるテーマであり、多くの人が共感しつつもどこか不安を感じる部分でもあります。

子どもたちの視点から見える世界

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『万引き家族』のラストシーンで描かれるのは、大人たちが選んだ家族のかたちが、子どもたちにどんな影響を与えたのかという残酷な現実です。

りんちゃんの微かな笑顔と寂しさ、祥太の揺れ動く心――無垢であるはずの子どもたちが、大人の選択のしわ寄せを背負わざるを得ない構造。それでも、彼らが“家族だった時間”が決して嘘ではなかったことが、静かに胸を打ちます。

安藤サクラさんの“母としての苦悩”、樹木希林さんの“どこか突き放した優しさ”が、子どもたちの心にどう残ったのか――登場人物一人ひとりを通して、「家族とは何か」の輪郭が少しずつ浮かび上がってきます。

『万引き家族』が私たちに突きつけるもの

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家族とは何かを再定義する

『万引き家族』は「家族は血のつながりだけでは決まらない」という当たり前のようでいて、なかなか受け入れにくい真実を私たちに見せてくれます。

一緒に暮らす。同じご飯を食べる。誰かを思いやる。そこに本当の絆が生まれるのだとすれば、法律や制度で守られる“家族”とは一体何なのか。

是枝監督は観る者に答えを用意してくれません。だからこそ、私たちは自分の言葉で「家族」を再定義する必要があるのです。

社会の責任と個人の選択

『万引き家族』の家族は、自己責任だけでは語れない状況に追い込まれていました。どこで誰が道を誤ってもおかしくない――そんな社会の脆さが、あの家族の物語に滲んでいます。

誰もが安心して暮らせるはずの現代日本で、なぜあの家族は“盗む”という選択をせざるを得なかったのか。そこには、行政の支援が届かない人々、声を上げられない弱者の存在があります。

私たち一人ひとりの選択が、こうした歪みを見て見ぬふりしていないか――作品を通して問われているのは、社会の責任であり、私たち自身の責任でもあります。

これから私たちができること

『万引き家族』は観終わったあとに「私には何ができるだろう」と考えさせる映画です。日々のニュースで語られない貧困や孤立は、決して他人事ではありません。

高齢者の「一人暮らし」「孤独死」・・・

家族のあり方をアップデートすること。弱い立場の人を支えられる社会を目指すこと。小さな気づきと行動の積み重ねが、いつか誰かの“生きる”を支える力になるかもしれません。

是枝監督の問いかけをただの映画の中の話にしないために。まずは自分の隣にいる誰かを、ちゃんと見つめるところから始めてみませんか?

おわりに:是枝監督『万引き家族』考察のまとめ

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『万引き家族』は、決して美しい家族物語ではありません。それでも、そこに確かにあった“かりそめの幸せ”は、私たちが信じてきた家族像を深く揺さぶってくれます。

刑事:「子供二人は、あなたのこと何て呼んでいました?ママ?お母さん?」
信代:「・・・なんだろうね?」

多分、この映画を見た多くの方が、安藤サクラさんの名演技とともに、このシーンにいろいろなことを感じ取れたのではないかなと思います。

是枝裕和監督の作品を通して問い直す「家族のかたち」。
昭和世代にはぐっと来る作品でした。

今の日本社会を映し出す一つの鏡として、この映画を何度でも思い返してみてください。

まだご覧になっていない方は最後にこの作品の予告映像をぜひご覧ください。

※出典:ギャガ公式チャンネル

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